とにかくウチの子は可愛いかった。
ハーフですか?といつも聞かれていかにも純日本人な親2人は苦笑いしていた。
どこか悪魔的な可愛いさがあったように思う
癖になるというか
会わずにいられないというか
スーパーのおばちゃんのアイドルで、笑顔で貢物をもらっていた
私の同僚も可愛いさのあまり そんなに親しくない人までちょくちょくウチに遊びに来ていた。
薄い茶色の髪と色白の肌と、大きな色素の薄い目。お人形みたいな赤ん坊だった。
あの人も勿論夢中になった。
天使のような子どもにすっかり骨抜きにされ、真っ直ぐ帰ってくるようになった。
よく世話もやいていた
オムツも変えたし、遊んでくれた。
ご飯を食べさせてくれたり、散歩に連れてったり。
なんだかテレビで見るような幸せな家族のようになっていて少しくすぐったかった。
息子は物凄く可愛いかったが、身体が弱く二回の入院と週一回の通院をしていた。
持病がある訳では無いのだがアレルギー持ちである事と抵抗力が無くしょっちゅう風邪やら下痢やら体調を崩していたのだ。
ハイハイするようになり、カタコトを喋り始め、幼稚園に行くようになると身体も随分丈夫になってきた。
長い義両親との攻防戦も息子が幼稚園に上がる頃には転勤という形でアッサリと終止符をうち静かな毎日を過ごすようになった。
大人しい泣き虫で、いつも私の後ろに隠れているような子だったから彼の幼稚園はすごく心配だった。
案の定、半年以上泣き続けたものだ。
幼稚園でも自発的に友達を作る事など当然出来ずベソベソと泣いてる息子にハラハラし、お友達に捕虜として木にグルグル巻きにされている我が子が泣いてるのを見てほっとけなかった。
顔は相変わらずハーフのようで、先生方のアイドルのようだったが。
そんなもの子どもの世界で通用する訳もなく、元気でワンパクな子ども達に揉みくちゃにされながら少しづつ強くなっていった。
優しい子で人形遊びが好きだった。
いつも1人でポケモンの指人形で遊んでいるような子どもだった。
本が好きで静かな大人しい男の子だった。
周りで賑やかに遊んでても1人ポツンと本を読んでいるタイプの男の子だ。
私は彼をサッカーに誘ってみた。
サッカーの盛んな地域だったし、大人しく身体の弱い彼には良い影響を与えてくれるんじゃないかと思って。
その頃、私は2人目を産んだばかりだったが 上の子の弱っちい精神をなんとかしたいと思っていた
周りからモデルにしたら等色々言われたけど、私の後ろから離れないこの子にちょっとだけ強いなって欲しかったのだ
私がいないとすぐ泣いて追いかけてくる可愛いい愛しい我が子が心配だったものだ