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夜中の工場は3年ほどで辞めた。
赤ちゃんだった次男は幼稚園になり、私も随分楽になっていた。
その頃の夫婦間の軋轢が埋まることはなかったが、幸いあの人は週に半分もいなかったので、私は息子達と楽しく過ごすことができていた。
やがて長男が中学生になって私達は引っ越しをすることになった。
あの人の転勤だった。
上場企業の役員に昇格したあの人は地方から東京へ移動になったのだ。
転校はさせたくなかったが、場所が東京という事もあって子供達がついて行きたがった。
楽しそうと子供は言った。
長男が中学二年生になる頃に家族で東京に引っ越す事になった。
田舎から越してきた子供達は東京の中心部の子供達とのギャップに戸惑いがあるようだった。
お母さん、皆 横断歩道が赤でも渡るんだよ。
お母さん、お爺ちゃん達が座る席に普通に皆んな座るんだよ。
次男が不思議そうに言っていたのを思い出す。
多感な時期の長男も自分の価値観との差異と、文化の違いに戸惑っているようだった。
私は東京が初めてではなかったが、何故か胸の奥がザワザワとしていて、その感覚に不安を感じていた。
東京へ旅立つ当日、私は原因不明の発熱と腹痛と吐き気に襲われていた。
まるで行くなと引き留められているようだと感じていた。
この直感を信じていればと後悔することになるのだった。